我々の歴史 – Nossa História
ブラジルへの県人移住
「県人最初の移住者は一関の小野寺氏」岩手県人会最初の県人調査書がこのほど見つかり、1918(大正7)年7月25日「さぬき丸」でサントスへ着いた一関市 大町出身の「小野寺美代治」氏がいました。これまで最初の移住者は、1921(大正10)年4月「タコマ丸」で渡伯した和賀町出身の「武田貞吉」氏一家と伝えておりま した。小野寺さんはパラナ州コルネリオ・プロコピオ周辺に入植、子供が薬剤師の資格を得た事から、サンパウロ市隣町、グァルーリョス市で薬局を経営。傍ら日本語教室を開いていたようである。因みに大正時代の移住者は26家族だったようである。面白いことに県人会の畑勝喜氏の母親の叔父にあたる相沢寿(一関出身)の名前が見られ、以後、戦前戦後を通して約800家族が移住と記されています。
県人会の創立
1959(昭和34)年10月11日、千田安治、高橋善導、江刺家勝、高橋市太郎、田鎖捨蔵の5氏が発起人となり、各移住地の同郷人会をあつめて「在伯岩手県人会」を発足。1971(昭和46)年、「ブラジル岩手県人会」に改称。1983(昭和58)年に会館が建設された。県人の心の通う「親睦と和」、そして「母県との交流」を柱に、岩手の食文化の伝承や子弟育成、母県や世界の岩手県人会との交流を行っている。2008(平成20)年6月15日には創立50周年を、2013(平成25)年8月18日には創立55周年を迎えました。
歴代会長 – Presidentes
初代 (1959 – 1969) |
2代 (1969 – 1976) |
3代 (1976 – 1977) |
4代 (1977 – 1980) |
江刺家 勝 Masaru Esashika |
阿部 尚 Hisashi Abe |
雫石 正雄 Masao Shizukuishi |
吉田 栄 Sakae Yoshida |
軽米町出身 昭和5年着伯 |
花泉町出身 昭和10年着伯 |
盛岡市出身 昭和10年着伯 |
盛岡市出身 昭和35年着伯 |
5代 (1980 – 1990) |
6代 (1990 – 1998) |
7代 (1998 – 現在) |
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村松 吉次郎 Yoshijiro Muramatsu |
菊地 義治 Yoshiharu Kikuchi |
千田 曠曉 Hiroaki Chida |
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矢巾町出身 昭和9年着伯 |
一関市出身 1959年着伯 |
金ケ崎町出身 1957年着伯 |
県人会の役割
- 会員、子弟同士の親睦交流情報提供(会報発行)
- 母県との交流、母県よりの訪問者への応対、親族調査依頼への応対
- 次世代の人材育成青年交流
- 留学生研修生の派遣事業
- 日系団体との支援交流
- 図書の貸し出し(無料)
- その他
主な広報
- 県人会の動き ・・・ 会報『ブラジル岩手県人会だより』
- ふるさとだより・・・・岩手日報社提供
- お知らせ ・・・ 行事、事業、県人の消息(逝去者など)
- 旅紀行、移住の思い出、寄稿文など、『ふるさとだより』